話は少し進む。もみほぐしを辞めた後の話だ。
アニメグッズとヴィンテージギター。これがわたしの「商売」だった。アメリカ時代から続けてきたせどりを、帰国後も細々と続けていた。
細々と、だ。小学生ふたりを養えるほどではない。
それはわかっていた。わかっていながら、「いつかは」と思い続けた。入った瞬間は水面が見えている。気づけば首まで浸かっている。せどりとはそういうものだ。
再就職という選択肢は、なぜか浮かばなかった。浮かばなかった、というより、浮かんでは沈めていた。
20年アメリカで生きてきた。自分で判断して、自分で動いて、それで食ってきた。誰かの下で働くということが、どこか遠い話に感じられた。プライドと言えば聞こえはいい。ただの意地、だったかもしれない。
だから「自分で何かやれないか」を探し続けた。
Indeedというアプリがある。求人情報を探すやつだ。ある日、こんな文言を見かけた。
「月収100万プレーヤー多数在籍」
また、か。
と思ったかどうかは、正直覚えていない。たぶん、思わなかった。人間というのは学ばないものだ。とくにわたしは。
軽トラとアナウンス
仕事の内容は、不用品回収だ。
軽トラックに乗り込んで、スピーカーからアナウンスを流しながら住宅街を走る。「ご不要になった家具、家電、なんでも回収いたします」というやつだ。
車はなかった。会社が貸してくれた。給料から引かれる、という仕組みで。「すぐ始められます」と言われた。確かに、すぐ始まった。
都内を走ることもあった。住宅街の細い道を、アナウンスを垂れ流しながらのろのろと走る。恥ずかしくなかったかと言えば、嘘になる。信号待ちで隣に車が止まるたびに、前を向いて視線を外した。
値段がわからない
客対応そのものは、悪くなかった。
困っている人が相手だ。「これ、引き取ってもらえますか」と出てくるお客さんに、悪い人はあまりいない。その点は、もみほぐしの客あしらいと似ていた。
問題は、値付けだ。
同じような冷蔵庫でも、日によって、担当者によって、値段がまるで違う。マニュアルはあってないようなもので、商談は「空気を読め」の世界だった。
強気に出ればよかったのか、下げればよかったのか。お客さんの顔色を読みながら、毎回中途半端な値段を言って、毎回しまった、と思った。
稼げない日々、母への借金
完全報酬制というのは、稼げれば夢があって、稼げなければただの無給だ。
一日走り回って数万になる日もあった。ゼロの日もあった。月にならすと、とても家族を養える数字にはならなかった。
初期費用が少しかかった。母に借りた。
「少し貸してほしい」と言った時の、母の顔を覚えている。何も言わなかった。ただ、黙って用意してくれた。
アメリカで20年。マッサージの資格も取った。市民権だって持っている。それが今、母に借金している。
惨めという言葉が、じわじわと体に染みてきた。
1ヶ月で、やめた
続けても意味がないとはっきりわかるまでに、1ヶ月かかった。
正確には、1ヶ月で十分だった。この仕事では食っていけない。それだけはくっきりと理解できた。
ただ、それだけだ。次に何をするかは、まだわからなかった。
不用品回収という仕事自体は、嫌いではなかった。困っている人から物を引き取る。それを誰かにつなぐ。その流れの中に、なにか自分に合ったものが潜んでいる気がした。
その感覚だけを持って、軽トラを返した。
→ 第8話へ続く

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