意地の2年|英語ゼロの厨房で泣いた日【アメリカンドリームの後始末・第11話】

アメリカンドリームの後始末

査定の仕事をしていると、亡くなった人の持ち物を扱うことが多い。

「祖父が大事にしていたものなんです」
そう言って差し出される品を見るたびに、少しだけ手が止まる。

俺は、祖父の葬式に出ていない。

ハッタリで潜り込んだ厨房

22歳。旅行者のまま居座った、勢いだけの若造。
そんな俺を拾ってくれたのは、ニューオーリンズの観光地で日本食レストランを経営する日本人オーナーだった。

持ち場は裏方の厨房。おつまみを出し、天ぷらを揚げる。
手を動かす仕事なら、なんとかなる。そう思っていた。

問題は、注文の受け方だった。

ウェイトレスはアメリカ人。注文は口頭とメモで厨房に飛んでくる。今みたいに画面に表示されるわけじゃない。早口の英語と、走り書きのメモ。それだけが頼りだった。

英語力はゼロ。でも、それを認めたら終わりだと思っていた。
だから、わかったふりをした。

「たぶん、こんなこと言ってるんだろう」

その「たぶん」で、天ぷらを揚げた。

旅行者なら笑って済んだ

ハッタリは、すぐにバレた。

勘違いで作った料理が、そのまま客席に出ていく。違うと戻される。作り直す。ウェイトレスがため息をつく。その繰り返しだった。

失敗の連続だった。店に迷惑をかけ、オーナーにはこっぴどく怒られた。

旅行中なら、英語が通じなくても笑い話で済んだ。
「Sorry」と言って肩をすくめれば、誰も責めない。

でも、働く側になった瞬間、同じ失敗が大問題になる。
楽しい旅行の延長だと思っていた場所で、生活の現実が始まった。

厨房で泣いた日

不法滞在が半年を過ぎた頃だった。

日本で一緒に暮らし、俺を育ててくれた祖父が亡くなった。

知らせが届いたのは、葬式が終わった後だった。

母は、いつも俺の応援者だった。
知らせれば、俺は帰ろうとする。でも、不法滞在の身で一度日本に帰れば、もうアメリカには戻れない。それを察して、全部終わってから連絡をくれたのだと思う。

その日も、俺は厨房に立っていた。

そして、大泣きした。
天ぷら鍋の前で、声を上げて泣いた。あの日のことは、今も忘れられない。

来るところまで来てしまった。

アメリカに残るために、俺は祖父との最後の別れを手放した。

何ひとつ、上手くいかなかった

それでも、帰らなかった。

不法滞在のまま、2年近くが過ぎた。
仕事では相変わらず怒られた。英語はほとんど喋れないままだった。

大好きなギターを抱えて、ジャムセッションに飛び入りもした。
あの夜、路上でハーモニカを吹いて1ドルをもらった街だ。今度こそ、と思った。

上手くいかなかった。

仕事も、英語も、音楽も。挑戦したものは、どれも形にならなかった。

追い打ちをかけるように、人生で初めての重い腰痛に襲われた。
天ぷら鍋の前に立つことすら、しんどくなった。

意地の終わらせ方

ちょうどその頃、アメリカで法律の大きな改正があった。

不法滞在者でも、お金を払い、働いて税金を納めるなら、永住権を得る道がある。

正直、半信半疑だった。
周りには「取れるわけない」と言われた。滞在はたった2年。しかも、元はただの旅行者だ。そんな人間に、アメリカが永住権をくれるのか。

頼れるのは、弁護士だけだった。

相談すると、こう言われた。
申請して、日本で待つのが一番いい。このまま不法滞在を続けても、一時帰国しても、結果は変わらない。

取れる保証はどこにもない。それでも、その言葉に賭けるしかなかった。

祖父の葬式にも帰らなかった。意地だけで居座った2年だった。
その意地を、ここで一度下ろすことにした。

一時帰国を選んだ。

格好よく言えば、作戦の切り替え。
正直に言えば、心も腰も、もう限界だった。


今、査定の現場で誰かの形見を手に取るたびに、あの厨房を思い出す。

アメリカンドリームの後始末は、こういうところにも残っている。


前の話:第10話「マッチ一本とニューオーリンズ」

コメント

タイトルとURLをコピーしました