浦島太郎のように|引きこもりから造園士へ、そして知らせが届いた【アメリカンドリームの後始末・第12話】

アメリカンドリームの後始末

査定で伺った家に、手入れの行き届いた庭があると、つい足が止まる。
仕事中なのに、庭ばかり見てしまう。

昔、ほんの少しだけ、庭を作る側にいたからだ。

特例と、3000ドルの話

不法滞在のまま過ごしていた頃、移民法に特例があった。

条件が合えば、不法滞在でも永住権の手続きに進める。
罰金を含めた弁護士費用で、3000ドルほど。
「半年くらいで取れる」と聞いた。

不法滞在の俺にとって、夢みたいな話だった。

紹介された弁護士に頼んで、その話に乗った。
働いていたレストランのオーナーが、サポーターとしてサインをしてくれた。

弁護士の見立ては、「いったん日本に帰って、待ったほうがいい」。

数ヶ月のつもりだった。
そう、つもりだった。

申請の手続きを終えて少ししてから、俺は24歳で日本に帰った。
帰ってすぐ、祖父の墓に行った。

半年、1年、そして浦島太郎

半年が過ぎた。問い合わせても、返事はない。
1年が過ぎた。やっぱり、返事はない。

日本にいる自分が、だんだん「仮の姿」じゃなくなっていく。
街も、人も、空気も、なんとなく合わない。浦島太郎だった。

そのうち、心が参った。うつ症状だった。
あれだけ口も態度もでかかった男が、8ヶ月くらい、家から出られなくなった。
ろくに仕事もできなかった。

料理の仕事をする気には、全くならなかった。

友達の一言で、学校へ

転機は、友達の勧めだった。

急遽、職業訓練校に通うことになった。目指したのは、造園士。

学校に通い出したら、人が変わったように元気が戻ってきた。
単純な男だ。

そして、ニューオーリンズで出会った観光客の女の子に、連絡を取った。
デートをするようになった。

急に、世界が明るくなった。
普段の傍若無人な俺に、戻っていた。

梨の礫の先に届いた、3ページの手紙

訓練校を終え、現場で造園士として働き始めて、半年ほどが過ぎた頃だった。

弁護士事務所から、手紙が届いた。

それまで、何度か問い合わせた。返事は梨の礫。
そのうち連絡も取らなくなって、もう諦めていた。

封筒の中は、英語だらけの3ページ。
中身を全部理解できたわけじゃない。
でも、めでたい内容だということは、わかった。

辞書で単語を引いて、また引いて。
何度も読み返して、時間をかけて、ようやく意味がつながった。

「たぶん、こんなこと言ってるんだろう」と天ぷらを揚げていた男が、今度は辞書を引いていた。

書いてあるのは、こういうことだった。
半年くらいのうちにアメリカへ戻り、最終の手続きを終えること。

帰国から約2年。ようやく話が動いた。

やっと立ち直った日本の暮らしがあった。
本当にグリーンカードが取れるのかは、わからなかった。
落ちたら、せっかくの暮らしを捨てただけになる。

それでも、せっかくのチャンスだ。見逃せない。

一度チャンスを掴んでから、戻ってくればいい。

これは、行くしかない。

あっという間に、スイッチが入った。


前の話:第11話「意地の2年」

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